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静岡地方裁判所 平成9年(ワ)208号 判決 2000年1月27日

原告

甲野花子

乙山夏子

右原告ら訴訟代理人弁護士

山本晴太

萩原繁之

大橋昭夫

久保田和之

杉山繁二郎

福地明人

福地絵子

鈴木弘之

白井孝一

阿部浩基

諏訪部史人

澤口嘉代子

塩沢忠和

名倉実徳

森下文雄

田代博之

小長谷保

大多和暁

望月正人

被告

右代表者法務大臣

臼井日出男

右指定代理人

川口泰司

外一〇名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、女子勤労挺身隊として原告らを含む多数朝鮮人の少女を動員し、多大の犠牲を被らせたことを公式に謝罪せよ。

二  被告は、原告らに対し、各金三〇〇〇万円及びこれに対する平成九年五月一〇日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

第二  事案の概要

本件は、大韓民国国民である原告らが、第二次世界大戦中に女子勤労挺身隊員として朝鮮半島から日本国内に強制的に連行され、静岡県沼津市内の工場等において過酷な肉体労働に従事させられるなどして多大な精神的及び肉体的損害を被ったとして、被告に対し、①日本国憲法(以下、単に「憲法」という。)前文、②国家賠償法一条一項等(類推適用)、③大日本帝国憲法(以下「明治憲法」という。)二七条、④債務不履行、⑤国家賠償法一条一項等に基づき、前記請求一の謝罪(以下「公式謝罪」という。)及び同二の慰謝料の支払を求めている事案である。

第三  原告らの主張

一  事実関係

1  女子勤労挺身隊について

第二次世界大戦中に極端な労働力不足に悩まされた被告は、遅くとも昭和一九年春ころから、一二ないし一六歳くらいの女子を女子勤労挺身隊員として動員し始めた。そして、同年八月二三日公布、同日施行の女子挺身勤労令(勅令第五一九号)により、国民職業能力申告令による国民登録者たる満一二歳以上四〇歳未満の独身の女子に対しては挺身勤労義務を負わせて動員し、右義務を負わない者に対しては志願の形式をとることによって動員した。

朝鮮人女子は、被告による朝鮮支配を背景として強制連行政策の下、女子挺身勤労令が施行される前から強制的に日本国内の工場等に動員されていたが、右勤労令が施行されてからは、朝鮮の公立学校の教師や下部行政組織の官吏(具体的には邑や面の役人等)から、「志願すれば日本で女学校に行ける」「金を稼いで故郷に錦を飾れる」などと欺罔され、あるいは脅迫されたりして、志願の形式をとることによって動員された。

朝鮮人女子勤労挺身隊員は、日本国内の不二越鋼材工業株式会社富山工場(機械部品の製作工場、軍需大臣及び海軍大臣所管の軍需工場)、三菱重工名古屋航空機製作所道徳工場(キ四六陸軍一〇〇式指令部偵察機の組立工場)、三菱重工名古屋航空機製作所大江工場(海軍零式戦闘機の生産工場)、東京麻絲紡績株式会社沼津工場(テント、大砲等のカバー、袋、バッグ、航空機の翼の布地等に使用する麻布の生産工場)等に動員され、一日あたり八ないし一二時間の長時間にわたって、厳しい監視の中、過酷な肉体労働に従事させられた。また、工場等に付属する寄宿舎に収容され、許可証がなければ外出もできず、親との文通も制限されるなどしたほか、当時の食糧事情を考慮しても極めて粗末な食生活を余儀なくされた。さらに朝鮮人であることを理由に様々な差別を受け、日本人女子よりも過酷な条件の下で労働させられた上、給料の支払を受けることもほとんどなかった。

2  原告らの被害事実

(一) 原告甲野花子の被害事実

原告甲野花子(一九三〇年一月一〇日生。以下「原告甲野」という。)は、一九四四年(昭和一九年)春ころ、一四歳のときに面の書記(役人)から、日本の工場が女子を募集しており原告甲野がそれに該当すると言われて令状のようなものを示された。原告甲野の母は強くこれを拒絶したが(なお、原告甲野の父はすでに死亡していた。)、数日後、面の書記二人と日本刀を携帯した日本人の巡査が、原告甲野を行かせないと一番上の兄を徴兵徴用すると脅迫したため、母はやむなくこれを承諾した。

原告甲野は、鎮海駅から汽車で釜山へ連行されて連絡船に乗せられ、船内で会社の制服と女子勤労挺身隊と書かれた襷を支給された後、下関から汽車で静岡県沼津市内の東京麻絲紡績株式会社沼津工場(以下「沼津工場」という。)に連行された。

原告甲野は、同工場に付属する寄宿舎の月の寮七号室という部屋に収容され、三日間の厳重な身体検査を受けた後、精紡課に配置され、午前四時三〇分に起床し、朝会の後に粗末な食事をすませた後、白の帽子と国防色の作業服を身につけ、二カ所にポケットのついたエプロンをかけてはさみと指ぬきをはめ、一日中立ったまま、糸を引き抜いて下ろす機械から糸をつないで一様に機械の胴体に巻いていく仕事をさせられた(なお、原告甲野は、会社幹部から、この工場は麻を織って飛行機の翼や胴体にかぶせるカバーをつくる紡績工場であると聞かされていた。)。そして、見廻りをする日本人女性の厳しい監視の下、しゃがみ込んだりすれば厳しく叱られるため、足が腫れ上がっても激痛があっても瞬時も座ることなく、ただ死にものぐるいで働いた(原告甲野は、ひどい出血を伴う足の怪我をしたことがあったが、このときも一時間も休むことができなかった。)。そのような状況であったにもかかわらず、現状は絶対に秘密にするようにと言われ、手紙もすべて検閲されていたため、自宅へはいつも元気でいると書いた手紙を送っていた。また、度重なる空襲に怯えながら生活していた。

一九四五年(昭和二〇年)七月一七日の空襲で沼津工場が全焼し、原告甲野は、その後は富士紡績株式会社小山工場(以下「小山工場」という。)で働かされていたが、同年八月、天皇の放送で解放を知り、朝鮮に帰る船内で会社の担当者から給料はすべて積み立ててあるからすぐに送金すると約束されて一〇円の旅費を支給され、これで切符を購入して自宅へ帰ったが、結局、給料は送金されてこなかった。

原告甲野は、一九五二年(昭和二七年)ころ、中学校教員と婚姻したが、女子勤労挺身隊員であったことが夫に知れると従軍慰安婦と誤解されるなどして差別を受けるため、夫には秘密にしていた。しかしながら、甲野が長女を出産して間もないころ、夫に女子勤労挺身隊員であったことを知られ、これが原因で離婚を余儀なくされた。

(二) 原告乙山夏子の被害事実

原告乙山夏子(一九二九年五月一八日生。以下「原告乙山」という。)は、一九四四年(昭和一九年)三月ころ、一四歳のときに邑の職員(役人)と工場の人から、「産業戦士として日本で仕事をすれば学校にも通わせて勉強もさせてやる、すばらしい先生もそろっているし行き先の会社は日本最高だ、給料ももらえる、二年間働けば土地一〇〇〇坪くらいは買えるお金になる、軍属公務員にもなれる」などと言われ、日本国内へ行く決心をした。

原告乙山は、鎮海駅から汽車で釜山へ行って連絡船に乗り、船内で「女子勤労挺身隊」「女子産業戦士」と書かれたもんぺ、帽子、鉢巻きなどを支給された後、下関から汽車で沼津工場へ行った。

原告乙山は、同工場に付属する寄宿舎の月の寮五号室を割り当てられ、一部屋一二名で生活することになり、三日間の身体検査の後、第二工場で粗紡を担当することになった。原告乙山は、午前四時三〇分に起床して「我等は女子挺身隊」という歌に合わせて体操をし、食堂で一杯の飯とみそ汁を食べた後、一日一二時間にわたって仕事をした。原告乙山の仕事は、粗紡係から精紡係に大きな糸巻きを二〇個ずつ四輪車に乗せて運ぶという女子には過酷な肉体労働であり、また、厳しい監視下にあったため一時も休むことができなかった。その結果、原告乙山は、現在も腕が痛む後遺症に悩まされ続けている。原告乙山は、空腹のため、父母から芋や干し大根等を送ってもらったり、外出証をもらって市内で粥を食べたりして飢えをしのぎ、また、度重なる空襲に怯えながら生活していた。なお、募集時の話に反して学校で教育を受ける機会は一切なかった。

一九四五年(昭和二〇年)七月一七日に空襲により沼津工場や寄宿舎が全焼し、原告乙山は、その後や小山工場で同じ仕事をしたが、同年八月、天皇の放送で解放を知り、これで故郷に帰れると思って喜んだ。

同年九月七日、杉山という社員に引率されて新潟から朝鮮に向かう船に乗船し、船内で杉山に住所を記録され、給料を送るから家で待っているよう言われて旅費一〇円を支給され、これで釜山から汽車に乗り、故郷に帰ったが、結局、給料は送金されてこなかった。

そして戦後、原告乙山は、女子勤労挺身隊に行ったという経歴が知れると従軍慰安婦と誤解されて結婚もできないなどの差別を受けるため、経歴を公にすることもできない状態で生活することを強いられた。

二  法律上の主張

1  憲法前文(道義的国家たるべき義務)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務

(一) 憲法は、被告が受諾したポツダム宣言の国民主権、民主主義、平和主義という諸要求に応じて制定されたものであるから、ポツダム宣言は憲法の根本規範というべきものである。そして、ポツダム宣言は八項で「カイロ宣言の条項は遵守されるべく」と規定しているから、カイロ宣言も憲法の根本規範というべきものであるところ、カイロ宣言は、「第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満州、台湾及び膨湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還すること」「日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される」「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする」旨記しており、明治以来の被告の侵略戦争と植民地支配を不法なものと認め、その結果の回復を要求している。

そして、憲法前文は「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることのないやうにすることを決意」するとともに(一段)、「全世界の国民が、(中略)平和のうちの生存する権利を有することを確認」し(二段)、さらに「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」(三段)と規定しているが、これは先に述べた憲法の根本規範であるポツダム宣言及びカイロ宣言に照らすと、被告が過去の侵略戦争と植民地支配に対する反省を表明し、平和と安全を実現する方法を抜本的に改革することを意味する規定であることが明らかである。そして、憲法は、被告の平和と安全を実現する方法として、戦争の放棄、戦力の不保持という方法のほか(九条)、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」するという方法を採用したが(前文)、後者の方法は、被告から一方的に構築できるというものではなく、被告が平和を愛する諸国民から信頼されてはじめて構築できるものである。したがって、憲法は、被告に対し、被告の過去の侵略戦争と植民地支配によってその平和的生存権を侵害したアジアの諸国民に対して公式謝罪義務及び損害賠償義務(以下「道義的国家たるべき義務」という。)を課しているというべきである。そして、この道義的国家たるべき義務は、被告の過去の侵略戦争と植民地支配の被害者に対する謝罪と損害賠償を具体的な内容とするものであるから、司法審査における裁判基準となるべきものである。

(二) したがって、被告は原告らに対し、憲法前文(道義的国家たるべき義務)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務を負うというべきである。

2  国家賠償法一条一項等(類推適用)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務

(一) 被告の過去の侵略戦争と植民地支配によってもたらされた被害は、憲法一七条及びこれに基づいて制定された国家賠償法が制定される前に生じたものであるが、1で述べた道義的国家たるべき義務は司法府である裁判所にも課せられるものであること、憲法一七条の具体化として制定された恩給法等がもっぱら憲法成立以前の国家行為を賠償の対象としていること、ポツダム宣言の受諾によって明治憲法下におけるいわゆる国家無答責の原則は崩壊し、被告は過去の侵略戦争と植民地支配による被害者に対する責任を認めたこと等に鑑みれば、裁判所は、憲法制定前になされた公務員の違法行為によって生じた損害についても国家賠償法を類推適用すべきである。

(二)(1) これを本件についてみると、被告の公務員は、朝鮮支配を背景に侵略戦争を遂行するため原告らを連行したものであり、これが違法であることはポツダム宣言やカイロ宣言によって確認されている。

(2) また、原告甲野は、令状のようなものを示された上、兄を徴兵徴用すると威嚇されて連行され、原告乙山は、日本に行けば教育を受けることもできるなどと欺罔されて連行されて、それぞれ過酷な肉体労働に従事させられたものであるが、これは被告が昭和七年一〇月一五日に批准した強制労働ニ関スル条約(ILO条約二九号)(以下「強制労働条約」という。)に違反することが明らかである。すなわち、同条約の二条一項によれば、同条約における「強制労働」とは「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」とされているところ、ここで「処罰ノ脅威」とは刑事罰に限らず、あらゆる不利益を課すことによる強制を意味するとの解釈が確立しているから、欺罔や脅迫によって日本国内に連行され、帰国する自由や仕事を選択する自由もなく、労働を拒否すれば不利益を課されることが確実な状況下で労働させられた原告らの労働が「強制労働」にあたることは明らかである。そして、強制労働条約によれば、女子や一八歳未満の者を対象とすることは絶対的に禁止され(一一条)、強制労働の期間は往復に要する期間も含めて六〇日を超えてはならず(一二条一項)、強制労働に対しては通常支払われるべき率の賃金を現金で支払うものとされているから(一四条一項)、本件における原告らの労働が強制労働条約に違反することは明らかである。もっとも、実際に原告らを「強制労働」させたのは日本国内の私企業等であるともいい得るが、強制労働条約によれば、締約国の権限ある機関は、私企業等の利益のために強制労働を課し、または課すことを許可してはならないとされ(四条)、また、私企業等に与える免許は、生産物の生産または蒐集のためのいかなる形式の強制労働を生じさせることもできないとされており(五条)、締約国は私企業等が強制労働を行うことも禁止する義務を負っていると解されるから、戦争遂行のための労働力を確保する目的で原告らを日本国内に連行し、私企業等で強制労働させた被告が強制労働条約違反の責任を免れることができないことは明らかである(なお、強制労働条約二条二項(ニ)によれば、「緊急ノ場合即チ戦争ノ場合」等に強要される労務は「強制労働」にあたらない旨規定されているが、戦争の場合であればいかなる状況下でも「緊急ノ場合」に該当するということはできず、真に「緊急」であるとする具体的状況下において、その緊急事態に対処するにあたって真に必要不可欠な労務に限って「強制労働」に該当しないと解すべきである。そして、いかに労働力が不足していたとはいえ、一四歳の朝鮮人女子を朝鮮半島から遠く離れた日本国内で就労させなければならないような緊急性は認められないから、原告らの労働が「強制労働」にあたらないとすることはできない。)。

(3) さらに、原告らの労働は、一九二四年に国際連盟総会第五回期において採択された「児童の権利に関するジュネーブ宣言」にも違反する。

(4) そして、このような違法行為が行われたことについて、被告の公務員に故意、過失があったことは明らかである。

(三) したがって、被告は原告らに対し、国家賠償法四条、民法七二三条(類推適用)に基づく公式謝罪義務を負うとともに、国家賠償法一条一項(類推適用)に基づく損害賠償義務を負うというべきである。

3  明治憲法二七条に基づく損失補償義務

(一) 明治憲法二七条は、「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ」、「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」と規定するだけで、憲法二九条三項のような補償規定を設けていないが、近代の自由国家の成立を目的として制定された憲法(近代的意味の憲法)は、私有財産制を補償するとともに、財産を公的に収用される者に対しては国はその損失を補償しなければならないと規定するものであって、明治憲法は、まさに右の近代的意味の憲法として位置づけられるものである。そうすると、明治憲法二七条に損失補償の規定が設けられていないことをもって被告に損失補償義務がないとすることはできず、明治憲法二七条は、被告に対し、損失補償義務を課しているものと解すべきである。このことは、「憲法義解」の二七条の註釈に「公益収用処分ノ要件ハ其ノ私産ニ対シ相当ノ補償ヲ付スルニ在リ」とあること、田中二郎博士が右の註釈について、「公益の為にする特別の犠牲に対しては相当の補償を与えることが憲法の精神なることを説明したもの」であり、正義公平という憲法上の原理からみて、「補償について法の沈黙せる場合にも(中略)条理として、補償の認められるべき場合の存することを理由づけ得るのではなからうか」と述べていること(田中二郎「行政上の損害賠償及び損失補償」二二八頁)、明治憲法施行当時、知事が国の機関として祇園の歌舞練場を進駐軍専用のキャバレーに転用するよう要請したことについて、「正義と公平の観念」を基礎として国の補償義務を認めた裁判例があること(東京地裁昭和三三年七月一九日判決・下民集九巻七号一三三六頁)等からも明らかである。

そして、いかなる場合に被告に損失補償義務が生じるかについては、損失補償制度の歴史及びその実質的根拠である正義公平の理念に照らし、憲法二九条三項の解釈がそのままあてはまるというべきであり、個人に「特別の犠牲」を生じさせたような場合には、被告に損失補償義務が生じると解すべきである。そして、「特別の犠牲」といえるかどうかは、侵害行為の対象が広く一般人であるか、あるいは特定人ないし特別の範疇に属する人かという形式的基準と、侵害行為が財産権に内在する社会的制約として受忍すべき限度内か、あるいはそれを超えて財産権の本質的内容を侵すほど強度なものかという実質的基準を総合的に考慮して判断されるべきである。

(二) これを本件についてみると、原告らは、被告が侵略戦争を遂行するための労働力を補充するために連行されたのであるから「公共のために」連行されたといえるところ、このような連行が行われたのは被告の植民地支配を受けていた朝鮮人という特定の範疇に属する人々であり、また、この連行によって原告らが被った精神的及び肉体的損害(損失)は人格権や財産権の本質的内容を侵すものであって受忍限度を超えることは明らかであるから、原告らが被った損失は「特別の犠牲」であるといえる。

(三) したがって、被告は原告らに対し、明治憲法二七条に基づく損失補償義務を負うというべきである。

4  挺身勤労契約の債務不履行に基づく損害賠償義務

(一) 女子挺身勤労令には、「勤労常時要員トシテノ女子ノ隊組織(以下女子挺身隊ト称ス)ニ依ル勤労協力ニ関スル命令ニシテ」(一条)、「引続キ挺身勤労ヲ為サシムル」(四条)、「女子挺身隊ノ組織及運営並ニ其ノ隊員ノ規律ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」(一〇条)等の規定があり、これらの規定によれば、女子勤労挺身隊が被告の組織の一つであったことや、女子勤労挺身隊員に対する挺身勤労の権利(命令)主体が被告であったことは明らかである。また、同令には、「地方長官(中略)女子挺身隊ヲ出動セシムル必要アリト認ムルトキハ(中略)市町村長((中略)区長)其ノ他ノ団体ノ長又ハ学校長ニ対シ隊員ト為ルベキ者ヲ選抜スベキコトヲ命ズルモノトス」(六条)、「地方長官ハ前条ノ規定ニ依ル報告アリタル者ノ中ヨリ隊員ヲ決定シ」(八条)等の規定があり、これらの規定によれば、被告が女子勤労挺身隊員の選抜権限を有していたことは明らかであり、また、「引続キ挺身勤労ヲ為サシムル期間ハ(中略)一年トス」(四条一項)、「地方長官ハ(中略)挺身勤労ノ全部又ハ一部ノ停止ニ関シ必要ナル措置ヲ為スコトヲ得」(一一条)等の規定によれば、被告が挺身勤労の期間の決定権限を有していたことは明らかである。

さらに、同令には、「挺身勤労ニ要スル経費ハ命令ノ定ムル所ニ依リ特別ノ事情アル場合ヲ除クノ外挺身勤労ヲ受クル者之ヲ負担スルモノトスル」(一二条)、「厚生大臣又ハ地方長官ハ(中略)挺身勤労ヲ受クル事業主ヲ監督ス」(一六条)、「隊員ガ業務上負傷シ、疾病ニ罹リ又死亡シタル場合ニ於ケル本人又ハ其ノ遺族ノ扶助ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム」(一三条二項)等の規定があり、これらの規定によれば、被告が女子勤労挺身隊員を日本国内の私企業等へ斡旋するなどした後も、被告と女子勤労挺身隊員との間には強固な法的関係が存在することは明らかである。

ところで、同令三条二項によれば、「国民登録者タル女子」以外の女子は「志願ヲ為シタル場合ニ限リ隊員ト為スコトヲ得ルモノトス」とされているところ、ここで「得ル」とされていることに照らすと、女子勤労挺身隊に志願した国民登録者でない女子は、被告が隊員とすることを認めて初めて隊員となることができるものである。

したがって、国民登録者でない女子は、同女が入隊志願の意思表示をし、被告がこれを承諾すること、あるいは被告が入隊勧誘の意思表示をし、同女がこれを承諾することによって、女子勤労挺身隊員になることができるものであるから、同女と被告との間には、右に述べた意思表示の合致による非典型契約(以下「挺身勤労契約」という。)が成立しているというべきである。

そして、右の契約の内容は、当事者の意思表示の内容、すなわち原告らと被告(具体的には入隊勧誘を行った邑、面の役人ら)のなした意思表示の内容によって決定され、それでも不明確な部分は、当時の当事者の状況等や女子挺身勤労令を基準として、当事者の意思を合理的に解釈して決定されるべきである。

(二) これを本件についてみると、原告らは、当時の被告の公務員であった邑や面の役人から女子勤労挺身隊へ入隊するよう勧誘され、形式的にはそれに志願する形で女子勤労挺身隊員となったものであるから、原告らと被告との間には右に述べた挺身勤労契約が成立している(原告らは、実際には東京麻絲紡績株式会社の沼津工場等で労働したものであるが、同社と雇用契約を締結する意思など全くなく、あくまでも被告の組織の一つである女子勤労挺身隊に入隊する意思であった。)。そして、原告らは、右挺身勤労契約により、女子勤労挺身隊員として被告が指定する工場等で労働する義務を負ったが、他方、被告は、原告ら(特に原告乙山)に対し、日本国内で労働すれば教育を受けることもできるし、給料も支給されるなどと意思表示しているのであるから、原告らを右諸条件を満たす工場等に派遣するか、それができなければ直接原告らに対して右給付を行う義務を負ったというべきである。さらに、当時の当事者の状況等や女子挺身勤労令(特に一三条二項や一六条)に照らせば、被告は、原告らの就労中、原告らの生命、身体、財産及び名誉等が侵害されないよう配慮する義務を負ったと解するのが当事者の合理的意思に合致するというべきである。

ところが、被告は、原告らを労働環境の劣悪な工場に派遣し、原告らに教育を受けさせなかった上、給料も支給せず、さらに過酷な肉体労働を強いただけでなく、民族的な差別を加えたりするなどしたものであって、これが債務不履行にあたることは明らかである。

(三) したがって、被告は原告らに対し、挺身勤労契約の債務不履行に基づく損害賠償義務を負うというべきである。

5  国家賠償法一条一項等に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務

(一) 国会議員が各人に課せられた憲法上の立法義務に違背している場合、すなわち、憲法解釈上、立法義務の存在が明白である場合や、あるいは国会議員が、憲法秩序の根幹的価値に関わる基本的人権が現に侵害されており、これを是正する立法の必要性を十分認識し、かつ立法可能であるにもかかわらず、一定の合理的期間を経過してなおこれを放置しているような場合には、国会議員の立法不作為は国家賠償法上の違法行為と評価されるべきである。

(二) これを本件についてみると、すでに述べてきたところからも明らかなように、被告は強制労働条約に違反して原告らを「強制労働」させるなどしていたのであって、被告が憲法前文の道義的国家たらんとするためには、原告らをはじめとする朝鮮人女子勤労挺身隊員等に対する補償を行うことが最低限の必要条件であるから、国会議員には憲法前文に基づく立法義務がある。

また、戦争の放棄、戦力の不保持を規定する憲法九条は、戦争行為が不法であるとの先進的認識を表明するものであるから、被告の侵略戦争による被害者に対して被告が誠実にその責任をとり、補償を行っていくことを国会議員に対して当然に義務づけている。

さらに、憲法一四条が規定する平等原則によれば、被告の侵略戦争によるすべての被害者に対して補償が行われるべきであることは明らかであるところ、国会議員は、原則として日本国籍を有する者に対してのみ補償を行う立法措置を講じ、日本国籍を有しない者に対してはわずかに原爆被害者あるいは軍属等に限定し、女子勤労挺身隊員あるいは従軍慰安婦であった朝鮮人女子に対しては補償を行う立法措置を全く講じていないのであり、このような事態を憲法一四条は絶対に容認していない。

また、公務員の不法行為によって損害を受けた者は国に対して損害賠償請求できるとした憲法一七条、私有財産を公共収用された者は国に対して正当な補償を請求できるとした同法二九条三項、抑留等された後に無罪の裁判を受けた者は国に対して補償を請求できるとした同法四〇条の趣旨に照らせば、国会議員には、被告の侵略戦争あるいは植民地支配によって被害を受けた者に対する補償を行う立法措置を講じる義務がある。

そしてさらに、憲法九八条二項によれば、被告は確立された国際法規を誠実に遵守する義務を負うところ、戦後補償の国際的潮流は、アメリカ合衆国やドイツ等が行っている戦後補償にあるように、戦争による被害者をその国籍等を問わず広く救済するというものであって、これは現在では国際慣習法として確立したものということができる。ところが、被告は、現在でも日本国籍を有する者に対する補償を原則とする戦後補償しか行っておらず、これは国際慣習法の遵守義務を定めた憲法九八条二項に違反するものである。したがって、被告の国会議員には、先に述べた国際慣習法に沿った戦後補償の立法措置を講じる義務がある。

以上によれば、朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する補償を行う立法措置を講じることは、憲法解釈上、その立法義務の存在が明白であり、また、憲法秩序の根幹的価値に関わる基本的人権が現に侵害されており、これを是正する立法の必要性が高い場合にあたることが明らかである。

そして、女子勤労挺身隊については、わが国で報道されることが少なかったとはいえ、当時は朝鮮総督府の機関紙である「毎日新報」で宣伝されており、国会議員はその事実を容易に認識することができたし、また、厚生省等にも記録が存在するはずであり、国会議員は被害者の存在を認識することも容易であった。さらに、右に述べた憲法の諸規定や国際的潮流は国会議員であれば当然認識し理解しうる事実である。したがって、国会議員は補償立法の必要性を十分認識し、かつそのような立法措置を講じることが当然可能であった。

ところが、国会議員は、第二次世界大戦の終戦から五〇年以上経た今日まで、朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する謝罪、賠償、補償等の立法措置を講じておらず、立法に必要な一定の合理的期間はとうに経過しているにもかかわらずこれを放置しているものである。

よって、国会議員の立法不作為は国家賠償法上の違法行為と評価されるべきである。

(三) したがって、被告は原告らに対し、国家賠償法四条、民法七二三条に基づく公式謝罪義務を負うとともに、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償義務を負うというべきである。

三  まとめ

原告らが受けた精神的及び肉体的損害は筆舌に尽くし難いものであり、金銭賠償では到底回復し得ないものであるから、原告らは被告に対し、憲法前文あるいは国家賠償法四条、民法七二三条に基づき、請求一記載の公式謝罪を求める。

そして、原告らの被った損害を金銭に換算することは困難であるが、あえてこれを行えば巨額に達することは疑いがないところ、本件においては、被告が真摯な謝罪を行ってその道義を取り戻すことを念願するものであるから、とりあえず被告に対し、憲法前文、国家賠償法一条一項あるいは明治憲法二七条に基づき、その一部である各三〇〇〇万円の支払を求める。

第四  被告の主張

一  事実関係について

原告らの法律上の主張は、次に述べるとおり、いずれも請求自体失当あるいは主張自体失当であるから、原告らの主張する事実関係については認否の必要性がない。

二  法律上の主張について

1  憲法前文(道義的国家たるべき義務)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務について

ポツダム宣言は、①軍国主義の除去、②連合国による日本国の占領、③領土条項、④日本国軍隊の武装解除、⑤日本国民の取扱い(戦争犯罪人の処罰を含む。)、⑥日本国の産業の取扱い、⑦連合国占領軍の撤収、⑧日本国軍隊の無条件降伏等を規定するものにすぎず、わが国の根本規範である憲法の条項をどうするかまでを決めたものではないし、カイロ宣言は、アメリカ合衆国、イギリス及び中国の各首脳が、昭和一八年一一月に対日講話条件について協議した結果を宣言したものであり、その中で朝鮮を独立させるという基本方針を明らかにしたもので、原告らの主張するように明治以来の被告の侵略戦争や植民地支配を不法なものと認め、その結果の回復を要求しているものではない。

そして、一般に憲法には本文のほかにその制定の理由や基本原則等を宣言する前文を付するのが通例であり、我が国の憲法も、かかる通例にしたがい、憲法制定の理由や基本原則等を前文で明らかにしているところ、この前文の持つ法的性質は、具体的な法規範を定めたものではなく、憲法の基本原則等を抽象的に宣言したものであって、憲法の本文の各条項の解釈を指導するものとはなっても、それだけでは裁判規範となりうるものではなく、具体的な裁判基準たる法規範となるためには、本文の各条項で具体化されることが必要である。したがって、憲法前文が被告に公式謝罪と賠償を求める裁判規範となりうる余地は全くなく、原告らの主張は失当である。

2  国家賠償法一条一項等(類推適用)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務について

原告らが主張する公務員の不法行為は明治憲法下におけるものであるところ、憲法一七条に基づいて昭和二二年一〇月二七日に公布、施行された国家賠償法の附則六項によれば、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」とされているから、同法施行前の行為に基づく損害については「なお従前の例による」ほかはない。そして、明治憲法下においては公務員の不法行為に関して一般的に国に賠償責任を負わせる法律はなく、大審院判決も一貫して公務員の違法な公権力の行使に対する国の賠償責任を否定していたから、本件に国家賠償法が類推適用される余地はなく、原告らの主張は失当である。

3  明治憲法二七条に基づく損失補償義務について

損失補償請求権は、そもそも適法行為に基づく損失を補償するものであるところ、本件における原告らの主張内容からすれば、原告らは被告の行為を不法行為と構成しているから、適法行為を前提とする損失補償の範疇には属さず、原告らの主張はすでにこの点において失当である(なお、明治憲法下においては、公務員の不法行為による損害について国の賠償義務が認められていなかったことは前記のとおりである。)。

仮に原告らが被告の行為を適法であると構成していたとしても、原告らの主張は次の理由により失当である。すなわち、明治憲法二七条の規定の仕方からすれば、明治憲法は、公益のためにする必要な処分は法律の定めが必要であることだけを定めたものであって、所有権の侵害に対して補償を与えるか否かは明治憲法の定めるところではなく、どのような場合にどの程度の損失補償を認めるかは立法政策の問題としていたものと解される。これは、当時の学説の支配的見解を代表する美濃部達吉博士が、損失補償請求権は法律に規定のある場合にのみ認められると解釈していたこと(美濃部達吉「日本行政法上巻」三五七頁)、明治憲法下の裁判例も一貫してそのように解していたこと(東京控訴院明治三七年六月四日判決・新聞二一六号二三頁等)からも明らかである。したがって、明治憲法二七条に基づいて直接損失補償請求ができるとする原告らの主張は失当である。

これに対し、原告らは、田中二郎博士の見解や裁判例等を根拠として自己の解釈の正当性を主張する。

しかしながら、田中博士自身、「補償に関し特別の規定のない場合には、普通は補償を与えぬ趣旨と解することが法の精神に合する所以であるといひ得よう」(田中二郎「行政上の損害賠償及び損失補償」二二八頁)としており、一般的には補償規定のない場合は損失補償請求権が発生しないことを認めている。そして、田中博士の見解というのは、「補償に額其の他に付て規定のない場合に、補償の性質に鑑み条理に従って解決が為されねばならぬことは一般的に認められている所であらうが、補償の原因に付ても、条理により、現行の規定を類推して之を肯定すべき場合が必ずしも絶無ではないであらう」(前掲書二二九頁)としていることから明らかなように、一般に条理を用いるべきであるとしているのは補償の額等について規定のない場合であって、そもそも損失補償をするか否かという補償の原因との関係では、極めて控えめに、かつ、限定的に条理上補償の与えられるべき場合が存する可能性を示唆しているにすぎない。したがって、田中博士の見解は、一般的に、およそ立法が欠缺する場合には憲法の条項を直接の根拠として補償がなされるべきであるとする原告らの主張とは異なるものである(なお、田中博士の見解は、右に述べたとおり、損失補償の規定が存しない場合、条理によって直ちに損失補償請求権が発生するというものではなく、あくまでも「現行の規定」を前提として、これに類推解釈を施してその発生を肯定しようとするものであるところ、原告らは、この類推すべき「現行の規定」について全く言及していない。)。さらに、田中博士は、公法上の損失補償とは「国家(略)は其の国家的公権の行使に因り特定人に対し其の者自身の責めに帰すべき事由に基づくものではなくして経済上の特別の犠牲たる損失を加へ又は加へんとする場合に、その財産上の損失を補填する為に負う所の公法上の金銭給付義務を謂う」とする美濃部博士の定義を前提とし、そこでいう損失が「経済上の特別の犠牲」であることを中核的な要件としているのであるから(同一九八、一九九頁)、田中博士の見解は、財産上の特別の犠牲が発生した場合を前提としていることは明らかである。したがって、田中博士の見解は、本件のような国家の行為により生じた身体等に対する損失の補償というようなことを全く想定していないことは明らかであり、そもそも明治憲法下においては、身体等に対する損失補償ということ自体およそ考えられていなかったのである。したがって、田中博士の見解をもって、本件における損失補償請求権を根拠づけることはできない。

また、原告らの援用する東京地方裁判所昭和三三年七月一九日判決は、すでに述べたような明治憲法下における損失補償制度を正解しないのものであるといわざるを得ないし、仮に右判決の見解に立ったとしても、右判決はそもそも財産上の損失に対する補償を認めたものであって、本件のような身体等に対する侵害に係る損失の補償を予想したものではない。したがって、右判決をもって、本件における損失補償請求権を根拠づけることもできない。

4  挺身勤労契約の債務不履行に基づく損害賠償義務について

原告らは、原告らと被告との間には挺身勤労契約なる私法上の非典型契約が成立していたと主張するが、原告らの主張する挺身勤労契約はその内容等において特定されているといえるのか、原告らが勤労したという東京麻絲紡績株式会社との契約といかなる関係にあるのか等の点においてなお不明な点がある上、邑、面の役人が原告らに対して何らかの働きかけをしたとしても、それが挺身勤労契約の申込みとしての意思表示の趣旨でなされたといえるのか、邑、面の役人が志願者との間で国と挺身隊員との関係について契約を締結する権限ないし法的根拠が存したのか、女子挺身勤労令の施行前に連行されたとする原告らについて、女子挺身勤労令を根拠として法律関係を論ずることはできるのか等の多くの疑問点があり、原告らの主張を前提としても、原告らと被告との間に債務不履行の前提となる挺身勤労契約が成立していたことを導き出すことはできない(なお、女子挺身勤労令は国家総動員法五条及び六条を受けたものであるところ(一条)、同法六条は、「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ従業者ノ使用、雇人、若ハ解雇又ハ賃金其ノ他ノ労働条件ニ付必要ナル命令ヲ為スコト得」と規定し、政府が使用者と従業者の間の労働契約に介入することを認めていたものの、国が契約の当事者になることは想定していない。このような観点からみても、原告らと被告との間に私法上の契約が成立していたとみることはできない。)。

したがって、挺身勤労契約の成立を前提とした債務不履行責任をいう原告らの主張は失当である。

5  国家賠償法一条一項等に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務について

国会議員の立法行為は本質的に政治的なものであり、国会がいつ、いかなる立法をするか、あるいはしないかの判断は、国会の裁量事項に属するものであるから、国会議員の立法行為(立法不作為を含む。)は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているような容易に想定し難い例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないというべきである(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁、同昭和六二年六月二六日第二小法廷判決・判例時報一二六二号一〇〇頁等参照)。

これを本件についてみると、原告らが被ったと主張する損害は一種の戦争損害であり、これに対する戦後補償は憲法が全く予定しないところであって、原告らが挙げる憲法の前文及び各条文の諸規定を個別的あるいは総合的に検討しても、憲法が国会議員に対して原告らの主張するような戦後補償に関する立法をなすべき義務を一義的明確に規定していると解することは到底できない。

したがって、国会議員の立法不作為をもって国家賠償法上の違法行為であるとする原告らの主張は失当である。

三  まとめ

以上のとおり、原告らの請求はいずれも法的根拠を欠くものであることが明らかであるから、棄却されるべきである。

第五  当裁判所の判断

一  本件においては、原告らの法律上の主張に理由があるか否かが主たる争点であるので、以下、この点について判断する。

1  憲法前文(道義的国家たるべき義務)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務について

原告らは、憲法の根本規範であるポツダム宣言及びカイロ宣言に照らすと、憲法前文は被告に対して道義的国家たるべき義務、すなわち被告の過去の侵略戦争と植民地支配によってその平和的生存権を侵害したアジアの諸国民に対する公式謝罪義務及び損害賠償義務を課しているから、被告は憲法前文に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務を負うと主張する。

しかしながら、原告らが憲法の根本規範と主張するポツダム宣言やカイロ宣言を十分考慮しても、憲法前文が被告に対して原告らの主張するような道義的国家たるべき義務を法的義務として課していると解することは到底できない。すなわち、カイロ宣言は、第二次世界大戦中に被告と交戦状態にあったアメリカ合衆国、イギリス及び中国の各首脳が、カイロにおいて、対日講話条件について協議した結果を宣言したものであり、その内容は、当時、被告が支配していた地域を中華民国に返還させることや朝鮮の独立等を目的として、被告が無条件降伏するまで被告と戦争を継続するというものであり、また、これを受けて発せられたポツダム宣言も、右のカイロ宣言の目的、すなわち、朝鮮の独立等の実現を被告に要求したものにとどまるのであって、原告らの主張する道義的国家たるべき義務を被告に課するものではないし、また、憲法前文は、その文言からも明らかなように、日本国民が、先の戦争の経験を踏まえて、平和国家、民主主義国家を建設する決意を表明し、これを基本理念として憲法を制定することを宣言したものであって、それによって具体的な法的権利を国民その他の者に付与したり、あるいは具体的な法的義務を被告に課したりしたものとは到底解せられない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、憲法前文に基づく原告らの請求は理由がない。

2  国家賠償法一条一項等(類推適用)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務について

原告らは、道義的国家たるべき義務は司法府である裁判所にも課せられるものであること等に鑑みれば、憲法制定前になされた公務員の違法行為によって生じた損害についても国家賠償法が類推適用されるべきであるから、被告は国家賠償法一条一項等(類推適用)に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務を負うと主張する。

しかしながら、原告らの主張する道義的国家たるべき義務が認められないことは前記説示のとおりであるし、また、国家賠償法の附則六項によれば、「この法律施行前の行為に基づく損害については、なお従前の例による。」とされているから、同法が施行された昭和二二年一〇月二七日より前の行為に基づく損害については「なお従前の例による」ほかはないところ、本件において原告らが主張する被告の公務員の不法行為あるいは被告による強制労働条約違反行為等は、いずれも右国家賠償法が制定される前である明治憲法下におけるものであって、当時は、権力的作用によって個人の損害が生じたとしても、一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠がなかったことから、その損害について国の賠償責任を認めることはできなかったのであり(いわゆる国家無答責の原則)、大審院もそのように判示してきたところである(最高裁昭和二五年四月一一日第三小法廷判決・集民三号二二五頁参照)。そうすると、本件において、国家賠償法を類推適用すべきとする原告らの主張は、国家賠償法附則を無視する独自の見解であるといわざるを得ない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、国家賠償法の類推適用に基づく原告らの請求は理由がない(なお、原告らは、憲法前文の道義的国家たるべき義務に基づく請求あるいは国家賠償法の類推適用に基づく請求に関する主張の中で特に被告の強制労働条約違反を強調するが、右主張も右各請求に理由がないとする前記判断を左右するものではない。)。

3  明治憲法二七条に基づく損失補償義務について

原告らは、明治憲法二七条は国の損失補償義務を認めた規定であるところ、その解釈は憲法二九条の解釈がそのまま妥当するから、被告は、国の行為が違法であると適法であるとを問わず、また財産権についての損失だけでなく身体等についての損失についても損失補償義務を負うと主張する。

しかしながら、明治憲法下においては、権力的作用については、違法行為に対しても国は賠償責任を負わないものとされていたこと(先に説示した国家無答責の原則)に加え、明治憲法二七条は、「日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵害サルルコトナシ」、「公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」とだけ規定し、財産権についての損失補償請求権を認めるか否かは立法政策の問題としていたと解されること、そもそも明治憲法下においては、生命、身体または自由の侵害に対する損失補償ということ自体、観念されていなかったことに照らすと、明治憲法二七条が身体等の侵害に対する損失補償請求権を規定していたと解することはできない。

なお、明治憲法の法制下において、財産権についての損失補償請求権を認める法律の規定がない場合にも、条理によってこれを補おうとする学説が存したことや、右学説に沿った裁判例が存在することは原告らの指摘するとおりであるが(弁論の全趣旨)、右学説や裁判例も明治憲法二七条から直ちに身体等の侵害に対する損失補償請求権が認められるとするものではないから(弁論の全趣旨)、明治憲法二七条に基づいて身体等の侵害に対する損失補償を請求することはできないとする前記判断を左右するものではない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、明治憲法二七条に基づく原告らの請求は理由がない。

4  挺身勤労契約の債務不履行に基づく損害賠償義務について

原告らは、原告らと被告との間に成立した挺身勤労契約により、被告は、原告らが教育を受けられ、かつ給料も支給される工場等へ派遣する義務、それができなければ自らこれを履行する義務、さらに原告らの身体等が侵害されないよう配慮する義務等をそれぞれ負ったところ、被告は右義務を履行しなかったから債務不履行に基づく損害賠償義務を負うと主張する。

しかしながら、契約成立のためには、当然のことながら両当事者が契約締結に向けて意思表示をすることが必要であるところ、本件全証拠によっても、被告が、原告らの主張するような挺身勤労契約を原告らと締結する旨の意思表示をしたとの事実は認められない。

この点につき、原告らは、女子挺身勤労令三条二項を援用して、国民登録者たる女子は被告が女子勤労挺身隊に入隊することを認めて初めて隊員となることができたから、被告は挺身勤労契約を締結する意思表示をしたものであると主張するが、右条項は、国民登録者たる女子は志願した場合に限って女子勤労挺身隊員となることができることを規定したものと解するのが自然な解釈であって、右条項自体から直ちに被告が入隊承諾の意思表示をしたものとは認められず、ましてや原告らの主張するような挺身勤労契約を締結する意思表示をしたものであると認めることは到底不可能であるから、原告らの右主張は採用できない。また、原告らは、原告らと被告との間には、原告らを女子勤労挺身隊に勧誘した邑、面の役人による勧誘文言(前記「原告らの被害事実」(第三、一、2)に記載したとおり)通りの内容の契約が成立したと主張するが、本件全証拠によっても、邑、面の役人等が原告らに対してどのような文言を用いて勧誘したのか不明であり、これを確定できない上、邑、面の役人等に原告らの主張するような挺身勤労契約を締結する意思あるいはその権限があったのかどうかも不明であるから、原告らの右主張も採用できない。

よって、その余の点について判断するまでもなく、挺身勤労契約の成立を前提とする債務不履行に基づく原告らの請求は理由がない。

なお、原告らと被告との間に原告らの主張するような挺身勤労契約の成立を認めることができないとしても、原告らは、被告に対し、安全配慮義務違反、すなわちある法律関係(ただし、本件において私法上の契約関係は認められないことは前記説示のとおりである。)に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方または双方が相手方に対して信義則上負う義務違反を主張して損害賠償請求することが可能であり、本件における原告らの主張もそのように解する余地が全くないとはいえない。しかしながら、安全配慮義務の前提となる法律関係は一様ではなく、また、事故の種類・態様も千差万別であって、右義務の具体的な内容はそれが問題となる当該具体的な状況によって異なるものであるから、右義務の違反を理由とする損害賠償請求訴訟においては、右義務の内容を特定し、かつ、義務違反に該当する事実を主張立証する責任は、義務違反を主張する請求者側にあると解すべきであるところ(最高裁昭和五〇年二月二五日第三小法廷判決・民集二九巻二号一四三頁、同昭和五九年四月一〇日第三小法廷判決・民集三八巻六号五五七頁、同昭和五六年二月一六日第二小法廷判決・民集三五巻一号五六頁)、本件における原告らの主張は、被告のなすべき安全配慮義務の内容が特定されていない上、義務違反に該当する事実も具体的とは到底いえないから、これに係る原告らの主張も理由がない。

5  国家賠償法一条一項等に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務について

原告らは、朝鮮人女子勤労挺身隊員に対する補償を行う立法措置を講じることは、憲法解釈上、その立法義務の存在が明白であり、また、憲法秩序の根幹的価値に関わる基本的人権が現に侵害されており、これを是正する立法の必要性が高い場合にあたることが明らかであるのに、被告の国会議員は、長期間にわたって右立法措置を講じることなくこれを放置しているから、右の立法不作為は国家賠償法上、違法行為と評価され、被告は国家賠償法一条一項等に基づく公式謝罪義務及び損害賠償義務を負うと主張する。

しかしながら、憲法が採用する議会制民主主義の下における国会議員の立法過程における行動は、原則として国会議員各自の政治的な判断に任され、その行動の当否は、最終的には自由な言論や選挙を通じて国民の政治的評価に委ねられているというべきである。すなわち、国会議員は、立法に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり、個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではなく、国会議員の立法行為(立法不作為を含む。)は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというような容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けないと解すべきである(最高裁昭和六〇年一一月二一日第一小法廷判決・民集三九巻七号一五一二頁、同昭和六二年六月二六日第二小法廷判決・判例時報一二六二号一〇〇頁等参照)。

これを本件についてみると、原告らが挙げる憲法の前文及び各条文の諸規定を個別的あるいは総合的に検討しても、原告らの主張するような戦後補償に関する立法義務が憲法上、一義的であると解することは到底できない。すなわち、憲法前文は、憲法の基本原則等を表明したものであって、それだけで裁判規範となりうるものではないから、立法義務を一義的に課しているとは到底いえず、憲法九条も、その理念である平和主義及び国際協調主義に照らしてみても、戦後補償に関する立法義務を一義的に課しているとはいえない。また、憲法一四条は、国政の高度の指導原理として法の下の平等原則を宣言したものであって、同条を直接の根拠として立法義務が生じる余地はないし、憲法二九条三項も、財産権についての特別な犠牲に対する補償を規定したものにすぎず、原告らの主張する戦争損害に対する補償を予想していないといわざるを得ないから(最高裁平成九年三月一三日第一小法廷判決・民集五一巻三号一二三三頁参照)、同条項が戦後補償に関する立法義務を一義的に課しているとすることもできない。そして、憲法一七条及び四〇条も戦後補償に関する立法義務を一義的に課しているものでないことは、その文言に照らし明らかである。さらに、憲法九八条二項についても、原告らの主張するような戦後補償を行うべきとする国際慣習法が確立しているとは未だいい難い上、戦後補償に関する立法措置は、各国における個々の具体的な事実関係ないし事情に即して検討されるべきものであって、各国の自主的な判断に委ねられているものであるから、同条項が戦後補償に関する立法義務を一義的に課しているとすることもできない。結局、戦争損害に対する補償は、原告らが指摘する憲法の各条項の予想しないところというべきであって、その補償の要否及び在り方は、事柄の性質上、財政、経済、社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものであるから、憲法の右各条項に基づいて一義的に決することは不可能であるというほかはなく、これについては、国家財政、社会経済、戦争損害の内容、程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断に委ねられたものと解するのが相当である(前掲最高裁平成九年三月一三日第一小法廷判決参照)。

よって、本件における国会議員の立法不作為をもって国家賠償法上の違法行為であるとすることはできず、これを前提とする原告らの請求は理由がない。

二  結語

以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・田中由子、裁判官・今村和彦、裁判官・村主隆行)

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